ネバーランド

ネバーランド/監督:マーク・フォースター
       主演:ジョニー・デップ
          ケイト・ウィンスレット

劇作家として納得した作品をつくれずいるバリが、ある日訪れた公園で出会った四人の男の子とその母親との交流を通じて、ある作品を完成させるまでの物語。
やっぱり子役の子が演技うまい。いちいち仕草や発言が自然だし、それぞれの兄弟の個性出すことができている。
あとケイト(タイタニックのヒロイン)がおばちゃん。化粧の仕方でずいぶん変わるものだと思ってたけど、よく考えたらタイタニックからもう7年くらい経つんですか?はええ。
ストーリーは、なんでもない日々の生活の中で、突然バリと子供達(+母親)が空想の
世界に入り込んでいく、そしてまた日常の生活に戻る。この繰り返しで進んでいきます。
映像はやはり美しいです。特に想像の世界と現実の世界の切り替わりを違和感無く可能にしている点は引き込まれます。
評価:☆☆☆★★(星3っつ)

以下ネタばれ。疑問点3つ。

  • ネバーランドとはなにか。それは日々の生活を想像力を通して変えることで生まれる想像の世界を意味している。鑑賞後に考えたのは、いったいイツからが想像の世界を描いたものだったのか、ということ。つまりネバーランド(想像の世界)と現実の世界を交互に描いているように思われるが、実際はすべてがネバーランドでの出来事、つまりバリの頭の中で生起した出来事なのかもしれない、という考え方も可能であるのでは。
  • バリは大人か、子供か。年齢的には大人だし、彼は劇中であるエピソードを語り、それをきっかけに大人になったと話す。しかし、妻がいるにも関わらず、未亡人とその家族と親密につきあい、それをやましいと思っていない彼の思考や精神は、純粋な子供そのもののように思える。実際に彼の語り口は子供と同じ目線で物事を捉えている。また、子供の祖母や劇のパトロンといった、代表的な大人的な存在に対しての彼の発言や態度は、打算のないものであり、大人と子供という対照的な構図を見て取ることができる。

作中で、四人兄弟の一人ピーターは、「彼(バリ)がピーターパンだよ」と言う。ピーターパンとは本来、子供達を大人がはいることのできないネバーランドへと連れて行く存在。では、そんな彼はどうだったか。子供なのか、大人なのか。バリとピーターパンはこの「不完全な存在」という点で相通じるものがある。疑問じゃなくなったか。

  • 上との関連。本来的にはネバーランドは大人が行くことが出来ない世界。しかし本作では想像力を働かせることが可能であれば、おとなでもたどり着くことができる。バリが芝居でやろうとしたこともまさにそれであり、窮屈な大人の価値観にとらわれた人々を、想像力を源泉として生まれた芝居(プレイ)を見せることによって、再び想像の世界へといざなうこと。つまり、バリはこの点においても想像の世界(ネバーランド)への案内人であったといえる。そしてピーターパンとは異なるのは、彼が子供だけではなく、大人をもそこへ連れて行ったということ。それはなぜか。

それを解く鍵として、バリが男の子に対して使う「大人になった」と言う言葉にある。本作でクローズアップされるのは、すべて親をなくしたり、親にすてられた子供達。彼らは普通の子供とは違い、必然的に強くなること、悲しみに耐えること、つまり大人的な感情の処し方を身につけねばならない。しかし、ピーターパンがネバーランドへといざなえるのは子供だけ。生きるためにつけた強さや理性が、子供達を大人にし、そして想像の世界から遠ざけてしまう。バリは、そのような彼らのために大人ですら想像の世界へと連れて行く存在であろうとしたのではないか。また疑問じゃない。