ビッグフィッシュ

・ビッグフィッシュ/監督:ティム・バートン
          主演:ユアン・マクレガー
             アルバート・フィニー

すばらしかったです。まだ感想を書くにはちょっともったいないかなと。よく寝てから改めて書きます。


はい、寝ました。いい朝ですです。
では簡単にストーリー。
「ごく普通の父親とその息子の話。普通と少し違うのは、父親がとんでもないホラ吹きだということ。彼の話では何もかもが現実離れしていて、息子は父のことを信じることができない。やがて父は病にかかり死期を迎える。そこで息子は突き止めようとする、父親の本当の姿を。」


まあこう書くと普通の家族をあつかったヒューマンドラマのような印象を受けると思うんですが、実際にはティム・バートン流のファンタジックな世界が広がっています。
この映画にファンタジーというスパイスを加えているのが、父の話すホラ話のパートです。
「恋におちると時間がとまる」
「海の中につっこんだかのような大雨」
「巨大な男」
「街をまるごと買い上げた」
これが見事に映像化されています。しかも、それぞれの話が、すこしだけ想像力と不思議な力を信じる人ならば、「もしかしたらあり得るんじゃない?」と思ってしまいそうな絶妙なさじ加減で表現されてます。ティム・バートンの魔法ですね。
しかもそのホラ話ひとつひとつが面白いので、自然にスクリーン(うちで見たのでしょっぱいディスプレイでしたけどー。)に惹きこまれます。

社交的で誰にでも好かれる父、でもそこには父のホラ話が大きな存在としてある以上、息子は父の本当の姿がわからないと考えています。
息子は父に対して唯一冷静な感情を抱いている存在なのです。
その息子と父がどんな結末を迎えるのか。それは見てからのお楽しみということで。
結末はとんでもないものではないです。むしろごく普通の終わり方。
ただそこに至るまでに、映画のなかで散りめぐらされたエピソードが一つの形になり、ラスト5分で一気に爆発するような感覚を覚えました。
泣きはしませんでしたが、ちょっとだけウルウルしたかもしれません。
評価☆☆☆☆★(星4っつ半)



ネタばれ。
・ビッグフィッシュとは二つの意味にかかっている。一つは「小さな池の大きな魚は大海に出ると溺れてしまう」という挿話に見られるもの。作中では、アシュリーという小さな村の大きな魚だったエドワード(ユアン)が、ひょんなことから広い世界へと飛び出し、その身を立てていく様子が描かれている。先にあげた挿話とは違うのは、エドワードが「小さな池の大きな魚」ではなく「本当に大きな魚」だったということ。それを示すものとして、エドワードがよく作中でつかう「渇いた」というセリフがあると思う。「泳ぎ続ける大きな魚」にとって、病床での生活は耐えられないものだったろう。つまりこの観点におけるビッグフィッシュとは、父親自身が自らの人生を表現する言葉だといえる。では、もう一方のビッグフィッシュとはなにか。それは息子のウィル(ビリー・クラダップ)が、父を表現する言葉。冒頭の父の話で「アシュリー川のビッグフィッシュ」が取り上げられる。そのビッグフィッシュとは誰もが捕まえる事が出来ない魚。そしてウィルにとってみれば、エドワードは家にいる時間も少なく、ホラ話をするばかりで、本当はどんな人間なのか理解することができない。息子にとってはまさに「捕まえることが出来ない魚」だったわけ。しかし息子の父に対する想いは、映画が進んでいく中で変わっていく。父の話がすべてホラ話ではない、ということを知ることになる。そして父のしてきたことを知り行く中で、父に対する想いは異なる形を取り始める。それ以前は、息子にとっての父は「ただ単に捕まえることの出来ない魚」だった。しかし結末において息子は父が「捕まえることの出来ない大きな魚」だったことを悟る。そして父は永遠に泳ぎつづける魚となる。